旅歩記〜たびあるき Travels

  コンサートやクラフト市に参加するために、あちこちと国内を旅することがあります。
  時には、観光がてら新たな音や楽器に出会いたくて、ふらりと外国へ〜。

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2013/6/7〜6/12 ウズベキスタンの旅
6/7(金)

成田空港からウズベキスタン航空で出発。

アテンダントさんたちはいずれもベテラン揃い.....
モニターも座席には付いていませんでした。
最近は「eチケット」システムなので、こんな紙を
カウンターに提出して航空券を受け取ります。
この紙を忘れてもパスポートがあればなんとかなる
らしいです。

帰りのウズベキスタン航空の便はキャンセルに
なったので、大韓航空に振り替えになりました。
9時間かかるので退屈するかと思いましたが、この便で
一番の美人と隣り合わせで、ラッキー!
学生で日本には通算3年ほどいるそうですが、日本語は
少しだけと言ってたので英語でしばしおしゃべり。
ウズベク語の発音をちょっと習いました。

通路の反対側には、日本に18歳から7年間暮らしている
という日本語ペラペラの青年がいました。
友人の結婚式で4日間帰るそうです。


窓の外には天山山脈が見えてきました。
もうすぐ着陸です。
Youtubeにはいろいろな動画がありますが、
これはタシケント空港に着陸するところです。

こんなのを撮影している人がいるんですね。
2011/7/30の映像だそうです。
ウズベキスタン入国にはヴィザが必要です。
税関申告書はとにかく正確に記入する必要があり、
所持金や貴重品は細かく書き込みます。

楽器を買うかもしれないので、小さいカリンバを
持ち込み高い価格を記入しておきました。

楽器を買って国外に持ち出すには、許可証を発行して
もらう必要があるのが原則で、無くても大丈夫という人も
いるのですが、担当者によってコロコロ変わる国なので
注意が必要だそうです。
これは宿泊するホテルのヴァウチャーで、外国人は
宿泊するところで滞在登録をしてもらうことが必要です。
タシケントの紹介です。
今回は時間が無くて回れませんでしたので、
The CAT Travelという旅行会社のビデオです。


この国では、撮影禁止なところが、空港、駅、地下鉄、
橋梁、政府や軍事施設.....と、いろいろあるので、
あまり街中の生活感があるところを撮れなかったな。
こちらはタシケントで泊まるB&Bです。
道路沿いは殺風景です。
小金持ちの家を改造したような感じです。
1階の右側が私の部屋でした。
天井がとても高く、もとは応接間のような感じ。
シャワーと水洗トイレは清潔です。


この後、タシケント在住の友人とインド料理店で
夕食、再会を祝いました。
6/8(土)

朝の3時に目が覚めてしまった。
日本時間の朝7時だから、いつも通りというわけ。

列車の時間が早かったので、宿では間に合わず、
駅で軽く食事。
列車のチケット。
タシケント発ブハラ行きのシャルク号で
サマルカンドまでの「1号車Cの39番」らしい。


同室の男性は歯医者さん、女性はデザイナーさん
でした。
二人はロシア語で会話しているようで、男性は
英語を少し話せました。
身振り手振りとiPadを使って交流。
3時間30分ぐらいでサマルカンドに到着。

こちらはサマルカンドのB&Bです。

やはり道路側は殺風景です。
中庭の木陰には靴を脱いで上がる縁台があります。
こちらの中庭もきれいに手入れされています。

エアコンはLG電子か.....昔、朝鮮族が強制移住
させられてきた土地でもあるから、朝鮮とのつながりは
強そうです。
1階の部屋の中は意外に涼しいです。
壁の布柄がウズベクらしい。
シャワールームもキレイ。

トイレの前の張り紙に、英語とフランス語で
「紙を流さず屑籠に入れて」と書いてありました。
周辺のマップをもらいました。
右上にWiFiの番号を書いてくれました。

メールをチェックしたら、カリンバの注文が
入っていました。
近くのレストランで食事。
夏休みなので中学生ぐらいの可愛い男の子が
英語で注文をとってくれました。
「英語がうまいね」..... 「学校で習ってるんだ」。

ショールヴァ(スープ)、マンティ、サラダ、パン、チャイ。
とても美味でした。

となりのテーブルのおばちゃんたちがパンを分けて
くれました「サマルカンドのパンはおいしいよ」ってな
感じでした。
さてこれが世界遺産サマルカンドのレギスタン広場

レギスタンとは「砂地」の意味で、当時は主要道路の
交差点にあたり、広場、バザール、キャラバンサライと
して発展してきました。
どこも入場料と撮影料を払わなくてはなりません。

1ドルが2000スム前後なので、両替すると分厚い
札束になりますが、どんどん出て行くので、金銭感覚が
おかしくなります。
下の広場に下りて建物に近づきます。
4〜6月は観光シーズンと聞いてましたが、とにかく暑い。
すごく乾燥していて40度はありそうです。
青を基調にしたタイルが美しい!
つい上を仰いでしまいます。
左側(西側)の「ウルグベク・メドレセ」の入り口アーチを
入ると、内側は、1420年に建てられた神学校です。

右側(東側)の「シェルドル・メドレセ」は1636年に建て
られた神学校です。
シェルドルとは、「ライオンが描かれた」という意味で、
白い子鹿を追うライオン(虎みたい?)の背中の
「人面日輪?」が面白い。
正面(北側)の「ティラカリ・メドレセ」は1660年に
建てられた神学校。

入り口アーチの装飾が美しい。
修復に3kgもの金が使われた礼拝所はまばゆいばかり。

ティラカリとは「金箔された」という意味だそうです。
星と植物、アラビア文字をモチーフにした鮮やかで
本当に美しい装飾です。
ウルグベク・メドレセの右側の塔はお金を払うと
上らせてくれます。

2階はかつて神学校の寄宿舎でした。
急な階段を上ると小さな窓?が開いています。
上からの眺めは最高です。

さすがに風の音が入っていますが、少しも
涼しくはありません。
この炎天下、命綱一本で尖塔の修理をしている人を
発見!
階段の途中には小さな窓がありますが、真っ暗な
箇所もあり、慎重に壁伝いに下ります。
シャーヒズィンダ廟群」はアフラシャブの丘にある
聖地で、11世紀から15世紀にかけて建てられた
ティムールゆかりの人々の霊廟です。

聖なる光が呼んでいます。
入り口手前にはサウナ風呂(沐浴用?)が発掘されて
いました。
シャーヒズィンダ廟群の入り口から階段を上ります

段数を数えながら上り、その数が行きも帰りも同じ
だったなら天国に行けるそうです。
ちょっと振り返って数を確認。

下りは一段を2歩で下ると数を間違えそうです。
コシュ・グンバズ廟」(15世紀)

ティムールの乳母と思われる若い女性の骨が
発見されている。

この二つのドームが特徴。
上に草が生えているのがカワイイ。
丘のまわりは現在も墓地になっています。

この右の方に土の塊のようなアフラシャブの丘が
続いているのですが、モンゴルによって破壊される
前は何世紀もの間、「人間が見た中で最も美しい
眺めのひとつ」と記録されるほど栄えた、サマルカンドの
中心地でした。

発掘調査で、文化の痕跡が11層も積み重なっている
のが確認されています。
こんな感じで通路の両側に林立しています。

たくさんあるので、これからほんの一部をご紹介
します。
トゥグル・テキン廟」(1376年)

ティムールの部下の将軍フセインの母親の名前。
アミールゾダ廟」(1386年)

ティムールの部下の将軍の息子の廟。
シリンベク・アカ廟」(1386年)
ティムールの妹を祀った廟で、私の一番の
お気に入りです。
四方の壁には自然の風景を描いた絵がはめ込まれて
いるのが印象的です。

下のアラビア語文様も独特です。
シャディムルク・アカ廟」(1372年)

ティムールが愛した姪を祀ったこの廟が、シャーヒズィンダ
の中で最も美しいと言われています。
中はテラコッタやマジョリカの青いタイルで、美しく
飾られています。
向かい合わせに建てられている廟が多いです。
クサム・イブン・アッバース廟」(11世紀)

モンゴル来襲の際も破壊されずに残った、
サマルカンドで最も古い建物だそうです。
この廟に三回参るとメッカに詣でたのと同じ意味を
持つと信じられていたそうです。

壁と天井の装飾の対比が美しい。
突き当たりが「フッジャ・アフマット廟」(1350年)

ここでは2番目に古い廟で、その様式がほかの
廟の原型になったそうです。
さて、戻りましょう。

どの廟もそれぞれに装飾が個性的で、職人たちの
心意気が感じられるようです。
ショブ・バザール」では日常に必要なものは
何でも手に入ります。
外のテントではパン、アイスクリーム、果物、
飲み物が所狭しと並べられています。
天井がある市場では机の幅で出店料が決められる
そうです。
果物、香辛料、菓子などの食料品から帽子まで
豊富に揃っています。
バザールの一角にあるお店では土産物も売って
います。
他のところより少し安いようです。

綿のショールを買いました。
記念にTシャツも買いました。
少し離れたところにある「コニギルメロス紙すき工房」。

751年に捕虜の唐軍兵士から製紙法が伝えられ、
8〜9世紀にサマルカンドは中近東一の生産地に
なります。
ここからイラク、エジプト、ヨーロッパへと製紙法が
伝えられ「ペーパー・ロード」と呼ばれました。

ところが19世紀半ばには、西洋の工業的製紙法に
押されて製糸業が途絶えていまいました。

ここは1998年に復興された施設です。

日本人技術者も復興の協力をしました。
水車の力を利用しています。

全盛期はこの川沿いに2000基の水車があり、
そのうちの400基が紙すきに使われていたそうです。
桑の木の繊維を細かくしています。

この国では、養蚕のためか桑の木を良く目にします。
ここでは紙すきの体験ができます。
すくった紙の繊維をプレスして.....
枠をはずすと.....きれいにはがれて大成功。
乾いた紙を、台の上で石や角でこすり、絹のような
光沢をもたせるので、「シルク・ペーパー」とも
呼ばれています。
お店の販売コーナー。

仮面の女性は、例の一直線眉毛の化粧をしています。
絵はがきを買いました。
日本の和紙と同じで、耐久性があったので
その高い品質ゆえに「スルタン・ペーパー(王の紙)」
とも呼ばれたそうです。
これは異なる素材も混ぜて漉いています。
こちらは細密画が描かれたツヤツヤの
サマルカンド・ペーパー。
敷地の反対側の川沿いにある瀟洒な?小屋。

トイレです。 例のトルコ式。
工房までは、シャーヒズィンダの前から白タクで来た
のですが、街中の道は痛みが激しく、穴を避けながら
かなりスピードを出すので、スリル満点です。
帰りはバスでショブ・バザールまで戻りました。

バスの中では高齢者やハンディのある人に席を
譲る光景が何回もありました。
その精神は国民に浸透しているようで、とても
爽やかでした。
レギスタン広場は21時からライトアップされます。

後ろの青いドームもライトアップしてほしいな。

手前のスタンドは2年に一度、8月に開かれる
「シャルク・タロナラル(世界東洋音楽祭)」の
準備です。 早すぎません? ちょっと邪魔なんです。
まあ、リハーサルが必要ですからね、仕方ないか。

「シャルク・タロナラル(世界東洋音楽祭)」
http://sharqtaronalari.uz/
6/9(日)

B&Bの朝食。
美しい中庭を眺めながら、いただきます。
チュパン・アタという丘の上にある「ウルグベク天文台跡
です。

1908年に発掘されました。

天文台の基礎と六分儀の地下部分が残っています。
六分儀は地下部分の11mと合わせて40mの高さがあり、
弧長は63mという巨大なもので、それを30m以上の高さの
建物が取り囲んでいたそうです。

入り口を入ると.....
発掘された六分儀の地下部分です。


ウルグベクはここでの観測から、1年間を
「365日6時間10分8秒」と推測しました。
「365日6時間9分9.6秒」が現代の精密機器で
測られた数値です。
望遠鏡も無い時代に誤差は1分もありません!
ウルグベク(1394〜1449年)はティムールの孫で、
天文学に限らずあらゆる文化に通じた君主でした。

彼の指示で作られたモスクやメドレセは宗教・文化・
教育・科学の発展を促しました。
この絵はメドレセで教鞭を執るところでしょうか。
こちらは天文学を講義しているところでしょう。


そんなウルグベクも、保守的なイスラム指導たちの
反感を買い、だまされた息子の刺客に暗殺されて
しまいます。 55歳の非業の死でした。

遺体は後で出てくる「アミール・ティムール廟」に
埋葬されています。
ビビハニム・モスク」はかつてイスラム世界で最大の
規模を誇るはずのモスクでした。
いろいろな伝説に彩られています。

ティムール(あるいは妃のビビハニム)が建設を急ぎ
すぎた(あるいは大きすぎた)ために、完成まもなく
崩壊が始まり、さらには度重なる地震で廃墟となって
しまったとのことです。
門を入っても巨大なモスクが目の前に。

手前のコーランを置く台も巨大です。
しかし、「廃墟の美」を感じさせるような修復具合です。
中のドームも手つかずです。
これはこれで歴史の悲哀を感じさせます。
中で木の板に絵付けをして売っていました。

レーザーで彫ったような細かい柄の板に、
色を付けるというものでした。
ティムールを裏切った(という伝説もあり)ビビハニムの
魂が彷徨っているようです。
日本にはウズベキスタンの資料が少ないので
この本を買いました。

修復前の古い写真なども載っていて貴重な本です。
アムール・ティムール廟」(1404年)

ティムールと息子たちが祀られた廟です。
この左側の入り口から入ります
ティムールの足跡が説明されます。
1996年に修復が終了し、当時の美しさを取り戻して
います。
金3kgが装飾に使われたそうです。
ティムールの墓石は黒緑色の玉石で作られた中央ので、
この3m下に葬られています。
南側がウルグベクの墓石です。

1941年に墓が開けられ、ティムールの足が不自由だった
ことや、ウルグベクが断首されて死んだことが証明され
ました。
外側は意外に修復が遅れています。
内部にお金がかかりすぎたかな?
内部の美しさとは対照的な風景です。
そばにある「ルルバッド廟」は神秘主義者シェイヒ・
ブルハヌッディン・サガルジを祀ったものです。

ムハンマドの遺髪を納めた箱が一緒に葬られた
という言い伝えがあり、信仰をを集めました。
その前には工場を移転させて整備された公園が
広がっています。
12時12分発のシャルク号でブハラに向かいます。
サマルカンド駅では、昨日と同じ列車なのに、違う
プラットホームで、現地の人たちも迷ってました。

3時間ほどでブハラに到着。
ブハラのB&B。
壁紙が少しやかましいかな。
初めてTV付きです。


海外青年協力隊でブハラに来て音楽を指導している
Aさんと待ち合わせをして、旧市街にでかけました。
刃物を作って売っているお店です。
折りたたみナイフを買いました。
刃にキャラバンの柄が彫ってあります。
コウノトリ型のハサミも買いました。
楽器屋さんで「ドイラ」を買いました。

弦楽器を買うつもりでしたが、いろいろ弾かせてもらって
検討の末、これに落ち着きました。
お店のJalolさんが模範演奏をしてくれました。
左手で細かいリズムをとっていたので、尋ねると
やはり左利きでした。
楽器製作家のビデオもありました。
Mirfaiz Alievさんと Halimaさんはブハラで楽器を作って
演奏しているそうです。

時間があれば行きたかったな。
キルギスで活動している海外青年協力隊のSさん
(職種は村落開発指導員)が指導しているのは
石けん作りです。
Aさん、Sさんと食事をした後、ぶらぶらと歩きながら
旧市街に戻りました。

レストランの近くの「アルク城」。

入り口の左上空に.....
お城の向こうに見える点は、複葉の飛行機でした。
珍しい!
左のアルク城のあたりは古代ブハラ発祥の地で、
2000年以上前にさかのぼる。

モンゴル来襲の際には、立てこもった多くの人々が
チンギスハンの軍隊に虐殺され、城も破壊された。

今残っているのは18世紀に建てられた城です。
城内は4haで、当時は一つの街が形成されていました。
ブハラのシンボル「カラーン・ミナレット」は1127年に
建てられた高さ46mの塔です。
金曜日に礼拝を呼びかける役目の他に、見張りの塔
でもあり、死刑囚を投げ落とした「死の塔」でもあった。


右側が「カラーン・モスク」で、1514年に建てられました。
サマルカンドのビビハニム・モスクに匹敵する、大きな
モスクです。
向かい側にある「ミル・アラブ・メドレセ」は1536年に
建てられた現役の神学校です。
1階が教室、2階が寄宿舎になっています。
6/10(月)

B&Bの朝食。

ブハラあたりの土壌はは塩分が含まれていて、
水道にも入っているらしくチャイも少ししょっぱいです。

ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ」は1622年に
建てられた神学校で、2羽の鳳凰が白い鹿をつかんで
太陽に向かって飛んでいるデザインが印象的。
「ラビハウズ」は1620年に造られたオアシスの池で、
四隅には石段が設けられ、市民の憩いの場と
なっています。
タキ」は大通りの交差点を丸屋根でおおった
バザールで、16世紀には宝石商市場、帽子市場、
両替屋と、専門に分かれていましたが、現在は
多くの商店や職人の作業場として賑わっています。
ウルグベク・メドレセ」は1418年に創設された、
現存する中央アジアで最古の神学校。

アブドゥールアジス・ハン・メドレセ」は17世紀に
建てられた神学校で、装飾にインドやオスマン・トルコの
影響が見られます。
連なったタキの丸い屋根の形が面白いです。
ブハラのアートを紹介しているビデオがありました。
これはウズベキスタンの有名な歌手、セヴァラ・
ナザルカン。

http://www.sevara.uz/

このあたりで売っているのはほとんどコピーCDです。
2006年アルマトイ(カザフスタンの都市)でのライブから、
曲は「Gazli」と「Urik Gullaganda」。
ちょうどお店でかかっていたこのCDも買ってみました。
サトー(Sato)という弓奏楽器です。

中国のウイグル自治区で使われているサタール(Satar)
と同じ種類の楽器ですが、駒が独特で、演奏弦のところは
高くなっていて、共鳴弦のところは低くなっています。

弓で弾きながら、時々、つま弾く奏法もまじえています。
細かいメリスマ(揺れ)が独特の味をだしています。
タシケントに列車で7時間かかって戻りましたが、
隣の親子がスモモをたくさん分けてくれました。
愛想の良い乗務員といい、親切な人がたくさん
います。

そのあと、友人と再会して地下鉄に初めて乗りました。

真ん中がその路線図です。
もちろん写真は撮影禁止です。
これは地下鉄の紹介スライドショーです。
これは泊まったホテルで発行される滞在登録証です。
これをなくすと帰国できません。


ホテルからタシケント空港に送ってくれた白タクの
おじさんは、車でかけていたCDに「カワイイ声だな、
カリンカ、カリンカ」と合わせて歌っていたら、「孫が
歌っているんだ」と言って、一枚分けてくれました。
ちょっとした交流がうれしいです。
帰りのウズベキスタン航空はキャンセルになり、1日早く
大韓航空で仁川経由で成田に向かいます。

中国空軍からの指示で出発が1時間半ほど遅れましたが、
最新鋭機で座席にモニターも付いているし、
アテンダントさんたちも若くて良かったです。

タシケント空港の写真も撮影禁止なので、これは
仁川空港のです。
6/12(水)

仁川空港で乗り換えまで少し時間があったので、
お店を眺めてこの木箱を買いました。
象嵌(シールかな?)がおしゃれです。
ベジタリアン・ミールを予約してみましたが、
ドレッシングをかけるとまあまあイケル味でした。


もうすぐ成田です。
表参道です、ってどこの?
成田山でした。

前泊、後泊を安く予約(キャンセル不可)していたので、
午後は新勝寺を参拝してきました。
気持ちのいい空間だな〜。
平和大塔

高さ58.1mの多宝塔形の仏塔で、1984年の建立。
外観は二重塔だが内部は5階建てです。

1階のギャラリーでは歌舞伎関係の展示がされて
いました。 昔から関係が深いのですね。

2階は明王殿と称し、不動明王を中心とする五大明王の巨像を安置し、昭和曼荼羅、真言宗祖師伝などの絵画が
見物です。


地下には各国の元首から寄せられた「平和への
メッセージ」を封入したタイムカプセルが、
落慶した1984年(昭和59年)、記念に埋められています。
このタイムカプセルは2434年に再発掘・開封予定。
梅雨時と言うこともありますが、干からびた?身体も、
苔むした池を眺めるにつれ、日本に帰ってきたとの
思いが深まります。


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